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仕事でもはんだづけ、家でもはんだづけ

高専を志して受験してから、就活して卒業に至るまで

自分が高専を志してから、卒業を控える今まで、あったこと思ったことなどを書きました。 読者層については考えていません。高専に関わりのある方でもない方でも、駄文に付き合っていただけたらと思います。

高専を志したきっかけ

中学二年生の時、高専のパンフレットを見たことがすべてのきっかけだったと思います。受験勉強をはじめなければならないからひとまずどの高校に行きたいか考えてた時に、他の高校とは全く異質でした。当時のぼくは「ブラッディ・マンデイ」を見てハッカーに恋焦がれる厨ニ病で、高専に行ってプログラマになってハッキングでも出来るようになりたいとでも考えていました。


当時の自分

ぼくは典型的な引き篭もりオタクでした。運動は嫌いで(一応ソフトテニス部に所属していましたが、出来るとは到底言えないものでした)、パソコン使ってネットを見たり、ゲームをするのが日常でした。「ブラッディ・マンデイ」に憧れUbuntuを家族共用インストールして、もともと入っていたWindowsをふっ飛ばして怒られたようなこともありました。 当時同じクラスで後に一緒に高専に入学した友達@waidottoの影響もあってHSPでゲームやらツールを見よう見まねで作り出したりもしていましたが、大した成長もないまま受験期へ。

入学前

学校の成績も良くなく、提出物や授業態度が非常に良くないぼくは高専入学で学校推薦が使えず、ひとり学力選抜で受験し合格しました。割りと死ぬ物狂いだったことだけ覚えています。 受験に合格し、合格祝いに初めてのMyPCを両親から買ってもらった(後の寮生活で必要になりそうだからという口実もあった)ところから色々と始まった気がします。 受験が終わり、高専入学までの期間特に何かをするわけでもなくグダグダしていたのですが、ある日書店で技術書のコーナーでふと目に入ったPython入門の本がカッコ良かったので(ヘビという響きというかマイナー感というかとにかく当時の自分にはPythonができたらカッコいいという理由)購入。それからしばらくPythonをやっていたと思います。受験勉強頑張ったからというのもあって、大して勉強せずに適当な高校に受かってガヤガヤ騒いでる同級生を見ていられなくてさっさと中学生活終わらないかなぁとずっと思ってたような気がします。

入学前の高専の印象

@waidottoを見ていたのもあり、一日体験入学や高専祭の印象もあり高専にはすごい電子工作をする人や、プログラマみたいな人がウヨウヨいて、自分も入学したらそんなかっこいい高専生活が送れるのかと思うとワクワクしていました。その一方で家を離れて寮生活をすることに関する不安も大きくありました。


入学直後の印象

入学してから落胆したことが多々ありました。 「同級生はプログラマがいっぱいみたいな印象」 そんなのは幻想で満足にタイピングもままならない人や、「パソコン?わっかんなーい」みたいな人ばかりでした。電気電子というせいも無きにしあらずだとは思いましたがそれでも酷いくらいでした。 技術的とはちょっと違うのですが、新しい端末やら電子機器やらスマホなどをやたら持っていたりする人がいたのはハッキリと覚えています。(当時やっとAndroidが出回りだした、IS01を持ってたら珍しいみたいな時期) 「どっからそんな金が出てるんだ、ブルジョワは帰れ」といらいらを募らせる日々が続きました。

専門授業がいっぱいある(ない)

パソコンが使えるという表現はちょっと語弊がありますが、当時は座学じゃない授業に憧れていたんですね。ところが普通の授業ばかりで、工学実験も週に1回、内容も前期なんてふざけていて研究室訪問とか言う先生のありがたいお話を30分程度聞きに行って感想文を出すような内容、後期も体験授業みたいなふざけた内容ばかりでとてもがっかりしました。 後々中学の同級生と話して気付いたのは、数学・物理等の進みがそこそこ速かったところぐらいです。

寮生活は楽しい

階員にも恵まれて寮生活2年間案外楽しかったのですが、寮自体の運営がわりとクソ。寮の重役の揉め事やら意味の不明な制度に愚痴をこぼしていく日々。「これが社会の縮図の寮か~(笑)」と適当に話のネタにしてだましだまし過ごしていました。 生活のクオリティについて述べていくと、ご飯があまり美味しくない(美味しくない)、洗濯機が共用だけど手入れされてなくて汚い、「規則で11:00消灯->じゃあ遅れないように各棟で10分前に消灯しましょう->棟の消灯に遅れないように更に5分前に消灯しましょう」、結果的に10:45消灯みたいなこんな感じのことばかりで割とうんざりでした。

プログラマを志した日

電気電子工学科に入学したと書いてありますが、初っ端に書いてあるようにプログラマを目指して受験した時の希望学科は実は制御情報工学科でした。頭が悪くて第3希望のパソコンとほぼ関わらない学科になってしまいました。*1 自分がふざけた工学実験をやってる傍らでc言語をやっている同級生を見ていたらそりゃもう悔しくてたまらなかったです。知ったかぶってるオタクかぶれみたいなのも憎かったし、親のスネかじってガジェクラしてる奴見てるのもイライラするし、そもそもクラスの大概の人がウェイウェイしているだけで大した友達も出来るわけでもなくどうして高専に来てしまったんだろうと本気で悩んでいました。 もういっその事独学でやろう、そう決めたのが学校ライセンスでVisualStudioが無償で利用できることを知った日です(使ってる機能的には別に評価版でも全く差支えはなかった。) cの絵本、独習cとか適当に入門書も揃えてc言語を始めたのが1年生の12月、今思えば高専生活のターニングポイントだったと思います。


AndroidJavaとアプリ開発

Android端末がちまちま発売するようになって、アプリ作りたい!となってc,c++c++の勉強というよりはオブジェクト指向プログラミングの勉強に近かった)の後にJavaを始めた1年の1月終わり頃。ちょうど4年前くらい。 一人独学でJavaをやっていたある日、学科の先生が「企業アルバイトでAndroidアプリを作る案件があって、もしやりたい学生があるならJava勉強会みたいなのをやるよ」みたいな話があって参加していました。どういうわけか先生の人気も高かったせいもあって当時10人ぐらいいたと思います。勉強会自体は素人が多すぎてグダグダで、勉強会に来て独学で進めているような感じでしたけど、後にその企業バイトに参加させていただくきっかけになったので感謝感謝です。ちなみに1か月後には4人ぐらいに減っていました。

Arduinoと恩師

電気電子工学先行でしたが、ハンダ付けなんて数えたぐらいしかやったことがなくて、専門が少ないクソだと大口をたたいてるくせにハンダ付けが致命的に下手くそでした。よって電子工作もあまり興味がありませんでした。憧れはあったのですが未知の領域という印象が強かったような気がします。それを打開したのが後期の学生実験でArduinoを使った実験があったことです。この時の実験の担当の先生は今後の高専生活でずっとお世話になっていて、研究室にも属しています。 電子工作がかなり身近な存在に感じたことと、c言語をかじったことのある自分にはコードを書いてモーター回したり、加速度センサとLED組み合わせて光らせたりととても好奇心あふれる実験でした。まさに自分が夢描いた高専の実験だったと思います。 実験の後、Arduinoを貸していただいたのですが借りた直後はJavaのほうが主で余り触らず...(ごめんなさい

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後にArduinoで生み出されたガラクタ。やはりハード加工があったほうが完成感あるのを知ったのは結構最近だったりする

Twitterクライアント

1年生の終わり頃の時期はc++Javaばかりやっていたと思います。プログラミングをはじめてずっと思っていたのはやはりGUIを使ったアプリケーションが作りたいというところでした。いつの間にか1年制が終わり春休みが終わったことにc++はQt、JavaはSwingでGUIアプリが作れそうな雰囲気がしていて、なおかつTwitter4jなるライブラリの存在のおかげもあってJavaTwitterクライアントっぽいものを作ったりしていました。何故SwingなのかはNetBeansを使ってたからです。この頃からEclipseがあまり好き好まない感じでした(Androidアプリ作るときにしぶしぶ使っていたくらい) どうにかネット上に自分で作ったソフトが公開できる!みたいな感じで大喜びでした。

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SwingとTwitter4jでやり始めてた頃のスクショ、色々と突っ込みどころが多いけど当時は嬉しくてたまらなかった


2年生になって寮生活は上級生ということもあり多少自由度も増し、高専にも慣れて比較的自分の時間が確保できる時期でした。思っていたことは人脈を広げなきゃということぐらいです。きっかけは高専カンファレンスin沼津が1月に開催されていて、Twitterを対してやっていなかった自分はもっといろんな人と関わりあったほうが楽しいのではないかと思ったことです。 ところが批判されるのが怖いみたいなのもあって、あんまり社交的に慣れなかったと思います。(今でも例えばコード公開したりして叩かれるのが怖いみたいな、クローズドでアホな思考してるので何者にもなれなかった気がします。)

プロコン同好会

2年になって学校にプロコン同好会なるものが設立されて入部しました。そこで前々から知り合ってはいましたが@nash_fsと知り合いました。高専に来てる人はウェイウェイしているだらけですが、やっぱり見えないところにすごい人はいるんだなぁと思い知らされます。@waidottoも所属していて、圧倒的自分の実力不足に落胆しながらもチームを組んでいました。 2年生の高専プロコン(舞鶴大会)の課題部門、4年生(旭川大会)の競技部門と参加しました。サイコロで反応する人種です。3年、5年の大会は自分の画像処理が雑魚すぎたせいで学内予選で敗退してしまいました。2人には非常に申し訳なく思っています。

師匠との出会い

1年の頃Arduinoを貸していただいた先生とたまに関わりを持っていたのですが、それ経由で@hastech78と知り合う。今も昔も永遠の師匠であり尊敬してる先輩です。 後にAVRマイコンCPLD,FPGAの開発、ARMマイコンなど電子工作分野に手を出すきっかけになりました。そして当時@hastech78が長を務めていた高専の文化祭(高専祭)で技術的なこと(ステージ音響、照明、高専祭Webページなど)をやっている総技研に入ることになりました。

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後々発注したりした基板。eagleで作ってSeeedStudio(FusionPCB)に出したやつ。

MacBookPro

2年生の6月頃。相変わらず親のスネかじって金使う人間が悪くてたまらなかったのですが、「Androidアプリ開発には人員がいるが、iPhone,iPadの方で人手が足りない。もしやるなら(Xcodeを使う必要があるから)MacBookProを支給する」という餌付けにまんまと載せられてMacBookProを手に入れ、Objective-CiPadアプリを作り始める。金がなくても技術で勝てるみたいなことを妄想めいていたと思います。 バイト給料とかではなくて、プログラミングをやっていたおかげてMacBookが手に入ったことに心底感激していました。

1日体験入学とか

2年の8月頃です。自分が高専に来ることを志したきっかけに大きく影響した一日体験入学、自分と同じように志す人がいればいいなあという思いで毎年手伝いに参加していました。1日体験入学の中で電子工作体験でやる内容がAVRを使ったオルゴール(書き込まれた譜面データを読んでpwmし続けるようなもの)だったのですが、当時c++JavaをやっていてGUIアプリが作れるということもあって譜面ジェネレータを作るように頼まれました。実は2年で恩師の先生の講義でプログラミングがあり(後にも先にも電気電子でプログラミングをするのはこの講義のみ)c#をすこーしやっていたので、これを気にということでc#で作りました。 自分の作ったものが表立って評価されたことや、電子工作体験で無事運用できたこともあって当時の自分としても満足でした。気付けば先生や同級生、先輩のお陰で自分の居場所が出来てきたと思います。クラスでは仲良くやっているのですが気がある友達のようなものはなかなか難しかったと思います。(とはいうもののクラスの友達と2年生の時の寮の相方は組みました。今でも大好きです。)

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本来ならちゃんと楽譜を出せばよかったのですが数日しか時間リソースがなかったので...ごめんなさいって感じ溢れてる

高専祭とかWeb開発とか

11月の高専祭に向けて映像系のソフトをc#で書いたりしていましたが、Web開発のきっかけになったのが高専祭Webページでした。 投票やら落とし物コーナー、ステージ映像のストリーミング配信など色々ありSilverlightとかPHPを使ってゴリゴリ書いていたような気がします。 ともあれPCキモヲタ引き篭もりの自分に居場所が出来ました。1年前の高専祭ではどこにも行くところがなく、かといって文化祭行かずにどこかに遊びに行ける友達もいなく、ただただ虚しいだけだったのがここまで変わったんだとなんだか嬉しく思っていました。 後々の高専生活の殆どを高専祭に費やすことはこの時点で何となく察しがついていました。 何故か金髪にしたのもこの時期だったような気がします。

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殆ど技術的な分野や高専祭に関しては@hastech78にずっとひっついてお世話になっていました。社会人になってもなにか作っていきたいです。

高専プロコン

2年の12月です。殆ど役に立てなくて申し訳無さ溢れています。ともあれhtmlやらjavascript、node.jsに触れるきっかけになったことやら、他高専はすごい人で溢れているんだ...うちの高専ウェイウェイしてる人ばっかりだなぁなんてことばかり思っていました。(割とそうでもないらしい) 課題部門だったこともあって、スーツ着てかしこまった姿でプレゼンをするのもはじめての機会でした。とにかく他のすべてがすごく見えて、いろいろ触発されて帰ってからのモチベに還元されました。

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写真の通り団体旅行管理のウェブアプリとかでした。実はPreziをこの時期に使ってたりしてるという。

研究室とか

時系列は崩れてしまう(どうせ中略するからここに書く)のですが、研究室はぼくにとってかなり過ごしやすい環境でした。恩師の先生の研究室だけあって、制作物をする上で不便することもなく、先生と話を出来てアドバイスもいただけて場所もある。ほとんど最高でした。研究頑張ります...。

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たのしいけんきゅうしつ

高専祭前など展示物やら研究たまに放棄して(してないけど)ガラクタを作ったりもしてました。そういえば制作物について触れてなかったので載せておきます。

www.youtube.com

LeapMotionを使った楽器っぽい何かです。

www.youtube.com

こちらはTouchBoardという静電センサを積んだArduinoでギターを作りました。

www.youtube.com

Arduino+eVY1で日本語キーボード、@hastech78にアドバイスを頂いて且つ手伝ってもらってクオリティがめっちゃ上がったやつ

中略

2年の終わりまでの出来事をこうして書いていたらだんだん日記みたいになってきてしまったので、途中一気に端折って高専生活終盤の印象を書き連ねていきます。 この後は高専祭や、高専プロコン、趣味の電子工作に色々時間を捧げてきました。 他にはカメラを購入してたまに写真を取りに行ってはこのブログやらflickrにも上げてたりします。


最近の自分が高専に抱いていた印象

中学生の頃からすっかり時間が経ったけれども相変わらず引き篭もりのキモオタだったぼくですが、どうにか高専で居場所を見つけて、楽しい生活を送っていました。

留年、退学の存在

結構多かったと思います。数学や専門教科が極端に苦手だったり、先生から出される補修を蹴っていたりする人は普通に留年してしまっていたような気がします。気付いたらクラスのメンバーも5年間で10人入れ替わってたみたいです。 高校と大学の中間をとっているだけあって、都合のいいところばかり単位制という体型をとっているような気がします。単位制なのにほとんど必修であったり、正直良くわからないです。

今後の進路の存在

3,4年の時は、徐々に徐々に行きたい大学や企業のことなどを調べていく人が増えていって、クラス全体が一丸となって進路に取り組んでいく......と学科の先生に叱咤激怒されました、いや激怒されました。ぼくのクラスはあんまりそういう風潮がなかったのか進学の一部の人が勉強しているとかその程度でした。 実際のところ自分は就職だったのですが、水面下でいつの間にか就職活動を始める(4年の2月頃)人に気がついて焦って就職活動を始める、みたいな人が多かったと思います。自分はインターンシップを決める段階で行きたい企業があったので、特に周りは気にせずさっさと活動していたような気がします。

講義について

3年を過ぎたあたりからは専門の方が多くなってます。1年生の頃に文句を言っていましたがきちんと教養を積んだ上で(?)専門が徐々に増えていくくさび形カリキュラムなんて言葉を思い出して、意外といい導入になっているのではないかと感じています。 ただ、講義間の連携がまちまちで例えば2年の電磁気より3年の電磁気が簡単な内容をやっていたり、あまりにも範囲が重複していたりなんてところもあります。後は個人的感想ですが華の専門教科は学科の先生に教えていただきたい気持ちがとても強かったです。

女装について

冬にやると寒くてインフルエンザになります。やめましょう。


おわりに

自分は結局環境にとても恵まれたおかげもあって楽しい高専生活を送ってきました、1年生の頃にプログラミングを始めたことが色々な発端になっているような気がしてならないです。最近はfpgaでちょっと変なものを作ったり、c#やらscalaを使ってガラクタ生み出してます。

もし高専を志している中学生や、高専低学年でこのだらだらした記事を読んでいるのであれば

  • なんでもいいからなにか熱中できる何かを持つこと
  • 周りには自分よりすごい人しかいないことを自覚する
  • 高専の環境は利用した方がいい

とかその辺りを強く思います。まず熱中できる何かを持つのは、5年間長いようであっという間でなにかやってきたなぁと思うことがあまりに少ないからです。もっとなんかやればよかったみたいなのもありますし、同級生や自分より年下で、自分には到底出来ないことばかりやってのける人しかいません。いつだか「自分が持っているものは光るまで磨け」なんて言葉を頂いたこともありました。自分も光らせるには熱中しきれなくて後悔しています。

2つ目に関してはすでに半分書いてしまいましたが、クラスの雰囲気的に技術的なことが出来ても高専に来てる人の殆どは一般人と相違ないウェイ系日本人です。自慢したところで何もいいことはないので井の中の蛙にならないようになりたかったです。自分がそうなのでアドバイスということで。

最後は、先輩や恩師の先生など色々技術的支援が受けられる環境にあると思います。高専全体で見てもいろいろなイベントを開いてくださっている団体もあったりして普通にセンター試験に臨む受験生の+40dBは恵まれています。同級生の普通高校に行って彼女でも作ればよかった~」発言に惑わされないようにしてください。

今後は社会人として、社会で殴られながら頑張って行くとともに技術的な趣味も続けていきます。結局何者にもなれなかった高専生活でしたが後悔はあまりしてないです。あと1ヶ月残っていますが卒業研究に努めます。

*1:パソコンが使えるかどうかに基準をおいてたら何事もダメだとは思います